BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

中山の強靭な馬場は摩擦を減らす(馬場研究・その3)

すっかり管理人も忘れ気味だが気が向いたので馬場研究その3中山編を突然投稿してみる。

以前の中山競馬場といえば馬場が悪いことが有名であった。確かに2002年春までの中山はすぐ馬場が悪化しやすかったのは間違いない。特に皐月賞の時期はそれが激しく、それがために回避する陣営もあったほどである。だが03年以降の中山の馬場は全く以前のものとは違う。日本の競馬場で新潟、京都に次いで、馬場が良いといっても過言ではない。なぜこのようなことが起きたのであろうか。

その理由は芝そのものが替わったことが大きい。東京改修のため7連続開催が行われるまで中山の馬場は洋芝と野芝の混植のところと、オーバーシードのところが混ざっていた。混植は見た目綺麗だが本来馬場の保全のために重要な野芝の成長が阻害されて良い馬場を作るのには向かなかった。それを02年までに少しずつ張り替えていたという状況だったのである。それを連続開催を前に一気に全てオーバーシード馬場に変えたことから中山の野芝は開催のない春から夏にかけてじっくり根付き、しっかりした地盤を作り上げることに成功した。そのために03年以降、中山の馬場はかなり丈夫になったのである。(コースの鬼より)

ではこれが馬券的にはどのような影響を与えるのであろうか。大きく二つのことが考えられる。まず一つは以前は皐月賞の時期にもなれば内側の馬場は大荒れとなり大外一気も決まるようになったものだが、全体的に馬場が良くなったために差し馬は内を突ける馬でないと通用しなくなった。次に馬場が良くなった分時計が速くなり、いわゆる摩擦の少ないスタミナをあまり要しない馬場となったがために全体的に距離適性の短い馬でも通用するようになったことがあげられる。これを端的にあらわしてるのが皐月賞の連対馬たちである。皐月賞の変遷を見てみよう。

95年〜98年Aコースで行われた時期の連対馬グリーンベルトを通った逃げ馬(セイウンスカイサニーブライアン)と内か外の馬場の良いほうを突く追い込み馬(タヤスツヨシロイヤルタッチ)で決まるパターンであった。99年〜01年は悪い内を避けて早めを抜け出した先行馬(アグネスタキオンオースミブライト)を大外から追い込んで迫る馬(ダンツフレームテイエムオペラオー)で決まっていた。そう01年までは追い込み馬の出番はあったのである。だが馬場の張替えが進んだ02年からはこのような傾向が薄れ、タニノギムレットでさえ外から差しきることは出来ず、完全に張替えが終了した03、04年は道中2桁の位置にいる馬は3着以内にも飛び込んでいない。先行馬と中団よりで前につけて4コーナーで内から強引に進出した馬で決まっているのだ。さらに連対馬の血統を見てみると明らかに03年以降はマイラー血統が幅を利かせているし、後の活躍を見てもステイヤーは皆無である。これは二つ目の距離適性が短い馬が活躍するようになったということと合致する。

このように現在の中山は以前のイメージと違って、非常に軽い摩擦の少ない、かつ丈夫な馬場に生まれ変わっているのである。ただし注意しなければならないのは、どうもこの冬は馬場造園課がオーバーシードの洋芝を長めに作っている節がある点である。というのも猛暑で野芝は絶好で9月の開催時は好時計がバンバン出ている割には冬の開催では時計が出ていない。洋芝を長めに作るとどうしても時計はかかりぎみになる。想像するに安全面でスピードが出すぎるのを防いでるのではないだろうか。そのためにSS直仔よりスペシャルウィーク産駒やダンスインザダーク産駒などのサンデー系の馬の活躍が目立つことに注意を払いたいところではある。