BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

馬主の問題は競馬そのものの存在価値に問題になる

一口馬主の課税問題、ダーレージャパンの馬主申請却下と馬主関連の話題が最近あったのだが、なかなか複雑な問題なので、あまりコメントをつけずにいた。とりあえず時間ができたので、ちょっと考えてみる。結論から言えば、これは日本競馬そのもの存在価値、在り処に直結する問題なので、構造が変わらないと小手先じゃ解決しないよなというありきたりな結論。

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なぜこのような問題が起きるかといえば、つまるところ日本競馬が貴族のスポーツなのか、庶民のスポーツなのかをいいとこ取りでやってきたのことのツケである。言い換えれば競馬は馬主のものなのか、ファン(馬券購入者)のものなのか、という問題であると考えられる。

日本競馬は戦後極めて「ファンのため」というアプローチで発展を遂げてきた。その功績は世界に類を見ない馬券大国の誕生である。世界をみても、これだけの売り上げを誇るところはなく、例外的な成功といってもいいだろう。その結果ファンは非常に馬券を通して、競馬に親しむ、競馬は庶民のスポーツであると捕らえることができた。

しかし、その裏で競馬を支える馬主に対してそれほど興味を持ってきたとはいえない。あくまでファンは自分が主役だと考えてきた。そして馬主も日本競馬にステータスを求めてきたわけではなかった。もちろん「馬を持つこと」「レースに勝つこと」はステータスとなってはいる。だが馬主であり、ダービーを勝つことで世間から賞賛を浴びること、つまり、競馬にかかわることそのものが誇りであるということはあまり求めてなかったように思える。なぜそのような状況に馬主が満足していたかといえば、非常に売上増加の恩恵として、高額な賞金が用意されていたからである。

本来競馬とはリスキーであり、経済的な観点からだけでは馬主になるということは正気の沙汰ではない。なぜ競馬がこれほど続いてきたかといえば、馬主であるというステータスを得られることで、経済的な賞賛以外のプライドが得られる。経済的なものだけでは得られない「貴族」としての位置を手に入れることが競馬によって可能であったからである。しかし日本の競馬はそのような「貴族的なプライド」が薄い代わりに高額な賞金が用意されてきた。1000万下を勝てる馬を手にいれれば、それなりの馬主生活が楽しめる。JRAは馬主にプライドはあげられないけど、ファンから得たお金はあげるよ、だから文句は言わないでね。というスタンスで競馬の発展をここまで推し進めてきたのである。

このような背景の中でクラブ馬主は生まれた。クラブ馬主は潤沢な資金で日本の競馬に参入してきた。馬主としてはパイの限られた賞金をリスクを背負わないファンに奪われては納得がいかない。初期のクラブいびりは構造的に起きて当然の現象であったといえよう。しかし少しでも馬主を増やさなければ競馬そのものが縮小してしまう。JRAとしても競馬の市場を広げたい。全体のパイの縮小を防ぐためにも、馬主はクラブの存在を認めざるをえなかった。だがJRAはクラブの存在を黙認する、つまり個人馬主に対する賞金というパイをファンにも与えてしまう代わりを用意してきたとはいえない。多少馬主資格を恣意的にすることで優遇したかもしれないが、馬主であることの価値向上を考えはしなかったのだ。

そして最近では一段とファンも馬主の競馬に使える金は減ってきた。そのときJRAはどのような施策をとったか。これまでどおりファンに馬券を買ってもらえるように努力を続けている。しかし馬主には経済的見返りを減らして、我慢しろよと言い続けていると思える。実際これまでのような下にも厚い賞金体系を見直し始めているのだ。プライドも手に入らない、経済的にも厳しい、では馬主も増えるわけがないであろう。関口氏が躍起になって馬主を主役にと叫んでいるのは当然の正しいベクトルである。そのような中でダーレージャパンが日本の競馬に参入したらどうなるか。

ここで問題なのはダーレージャパンの馬がG1を勝つことではない。大多数の馬主にとってG1を勝つなどということは夢のまた夢であるから、ダーレーの馬がいようがいまいが関係ないのである。問題は下級条件での賞金流出である。もしダーレーが下級条件を豊富な資金力でかっさらってしまったら(競馬はある程度数を撃たねば当てられないものである以上、そのような意図がなくても現実はそうなる)、個人馬主が馬主であり続ける条件はさらに厳しくなる。日本の競馬全体を考えれば、一見ダーレーの参入は良いことのように思える。だがそれによってトップ以外はつぶれ、地盤沈下が起きてしまうのである。表面的にやれ国際化だ!JRAが悪い!社台が悪い!生産者が悪い!馬主が悪い!などと叫んでも始まらない。すでに対症療法は限界に来ている、現状を冷静に分析した上での、ビジョンが求められているのだ。

ファン(馬券購入者)を馬主にすること、海外資本が流入することは全体のパイの向上のきっかけにはなる。日本競馬には必要な処方箋だ。だがそのとき起きる副作用、個人馬主のパイの減少に伴う馬主であり続けることのモチベーションの減少。これを解決しなければ副作用で日本競馬がつぶれてしまうことも十分考えられる。日本競馬は庶民のものでも、貴族のものでもあるという存在であり続けるためには、経済的な問題だけでは解決しない。日本競馬のプレーヤーを意識し、競馬そのものの価値を高めるようにしなければ解決しない。日本競馬そのもののビジョンが問われている、ツケを払う時期が来ていると最近の馬主問題について感じるのである。