BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

間に合った願い

始まりは2007年。前年に引っ越してきたその街にはスタジアムがあった。近くに住む一回り上の友人に連れられて観戦すること数回。その中には今ではスカウトとして全国を飛び回っているだろうキャプテンの滅多に見られない左足のミドルシュートや、前年のリーグに引き続き、あと一歩で涙を呑んだナビスコカップの決勝も含まれていた。点が取ったり取られたりの喜怒哀楽の激しい試合展開と、クラブを取り巻く心地よさ、そしてあと一歩で届きそうな頂点への道のりを共有したくなり、気づけば時間の空いた週末に14番のタオルマフラーを片手に、自転車を走らせてスタジアムに向かうことは習慣となっていた。

決して毎回スタジアムに駆けつけていたわけではない。混んでるときはテレビ観戦、気が向けば当日券で。声を嗄らして、応援をしていたということもなく、座っていたのは大抵全体が見渡せる二階席。それでも2009年はいよいよタイトル奪取かと色めき立った。しかしあと一歩が遠い。選ばれるだけでも大騒ぎだった日本代表に当たり前のように14番が観られるようになっても、ラストワンプレーで奪ったジュニーニョの同点ゴールを起点に逆転で鹿島を倒しても、2度目の11月の国立でカップを受け取ったのは川向こうのライバルチームだった。歓喜の瞬間は訪れないままに、一緒に歩んできた監督は退任。一つのサイクルが終わってしまうことを、否応なしに突きつけられた。

一つのサイクルが終わり、新しいサイクルの始まり。新鮮な気持ちで初めて参加した2010年の新体制発表会では、新しい時代への高揚感のほうが強かったように思える。怪我が治らないまま参加した新人選手を獲得したクラブの懐の深さにただ感心していたのは余裕の現れか。この頃の自分はこれまでの順風満帆なクラブしか知らず、この先の道のりを甘く見ていたことは否定できない。しかし気づけばピッチ上での歯車が少しずつ狂っていた。可もなく不可もない1年が過ぎると、年末に移籍騒動が持ち上がる。しばらくしてサポーターからの必至な訴えを受け入れて、彼の残留を決める報道を耳にした。その決断に喝采を送れるほど、今後のチームに確信を持てなかったからだろうか。彼に残された選手人生についてボンヤリと考えるようになったのは、この頃だった。

再度監督交代を迎えて挑んだ2011年。キャプテンは井川祐輔に代わった。無理矢理にでも時計を進めようとしたチームは、序盤こそ勝ち点を重ねていたが、どうにも怪我を克服した2年目のワンタッチゴーラーが嵌まりすぎてるだけのように見えて、チームの形があるようでないような。そして一抹の不安は的中してしまう。待っていたのは8連敗。連敗を止めた山形戦を見たのは行きつけのスポーツバーだった。久々の喜びを分かち合い、「我慢するしかないときもあるけれど、こうやって皆で喜べることもある。あまり一喜一憂しても仕方ないな」と思えたのは、この頃から目に見えて、クラブがピッチ外でも評価されるようになっていたからかもしれない。勝ち負けだけが全てではない。クラブが地域に根付くことも大切なのさ。それは正しかったけれど、重心をそこに持って行かなければ、続けていけられない、そんな思いがあったのは事実。ただそんな救いはピッチの中にはなかっただろう。新キャプテンは下を向いていた。そんな中、ボランチが世代交代の波の中でチームを背負って必死にプレーする姿を、ただただ祈るように見ていたことを覚えている。

2012年、前年の空気を引き摺るようにして始まったシーズンは急展開を迎える。風間監督の就任。わかるようなわからないような例えでチームの未来を語った就任会見から、数日で迎えた広島戦。一つだけ覚えているのは、5年前に目の前でDFとは思えない冗談みたいなミドルシュートを決めた伊藤宏樹が、今度は盟友からのスルーパスを鮮やかにワンタッチで流し込むゴールシーン。何だかわからないが、何かが始まったらしい。そう思わせるのには十分な光景だった。残りのシーズン、世間からの毀誉褒貶の激しい指揮官と、それを支えるクラブに疑問を抱かなかったのは、あのゴールシーンがあまりに鮮烈だったこと、そして選手達がサッカーをする喜びに溢れていることに、練習場になんて行かない自分にも見てとれたから。前年までと打って変わって、チームの中心で楽しそうにボールを蹴るサッカー少年がそこにはいた。

2013年の序盤の内容にはさすがに頭を抱えた。それでもクラブがもう一度階段を上り始めていたのは明白だった。そしてシーズン終盤。伊藤宏樹は引退を表明する。最終節にちょっとしたドラマは待っていた。相手もリーグ優勝がかかった大一番を勝利して、チームはACL出場権を確保する。タイトルには少し間に合わなかったけれど、何度もクリーンなディフェンスでチームを救い、滅多に見られないゴールを目の前で決めて、自分を引き込んでくれた名キャプテンは、確かにクラブが二度目のピークに向けて進み始めていることを証明して、引退した。ただ同時にピッチに残った14番の残り時間が迫っていることも、否応なしに突きつけられたような気がしたのも事実だった。

2013年、2014年、2015年。3年連続で大久保嘉人は得点王に輝いた。不世出のエースと思われたチームの太陽ジュニーニョすら越えるペースで得点を量産する、その光景は一足早く攻撃力が一度目のサイクルを超えつつあることを示していた。けれど順位は安定しない。タイトルを獲ると言い切るには、あまりに不安定な試合内容。全てを引き継ぎ、名実ともにクラブを支えるバンディエラに、離脱が増え始めたことは、三歩進んで二歩さがるチーム状況と重なっているようにも思えた。ただ一歩ずつ前に進んでいく試合内容と足並みを揃えるように、新しい世代がクラブを背負う足音も確かに聞こえてきているようにも思えた。

2016年を創設20周年とあわせて、クラブが風間体制の集大成と位置づけていたことは明白だった。これまでとは違う守備意識と、ベンチワーク。4年の時を経て、チームが周りの期待に応えるだけの地力をつけてきたことは見てとれた。順調に勝ち点を重ねた1stシーズンは、最後の最後にあの大分戦を思い起こさせる取りこぼし。そのときピッチにバンディエラはいなかった。レギュレーションが与えてくれた2回目のチャンス、今度こそ、そう信じた2ndシーズンも櫛の歯が欠けたよう抜けた主力の穴を埋めることができずに、CSで力尽きる結果となった。ただし2009年以来のタイトル争いは確かな経験値をチームに与えてくれていた。そして迎えた元旦の天皇杯決勝。当然のように立ちはだかるラスボス、鹿島アントラーズ。相手にとって不足はなし。ハーフタイムも席を立たずに祈るように見つめるサポーターに、今度も歓喜は訪れなかった。ピッチに崩れ落ちる選手を観るのは何度目だろうか。その瞬間をもって、エースは去り、監督は代わる。次のサイクルを希望だけをもって迎えるには、クラブもサポーターも歴史を積み重ねすぎていた。絶望はしない、だけど希望だけを持つなんてこともできない。全てを受け入れたようで、ただ一つ帰りの新幹線で思い浮かぶのは、やっと訪れたタイトルを獲るチャンスを彼が逃してしまったことに対する、言いようのない悲しさ、それだけだった。

手元に届いたのは後援会に加入して10年が経ったことを指し示す銀色の会員証。2017年はスタジアムに顔を出すようになって丁度10年目のシーズンとなった。鬼木監督が就任し、キャプテンには億を超えるオファーを蹴って、残留を決めた新エースが指名された。前年秋、そのニュースを聞いて、正直なところ幾つもの怪我を乗り越えて代表にまで上り詰めていた11番が移籍するのを止めることはできないと感じていた。サッカー選手の旬は短い。ましてやチームに骨を埋める覚悟を決めた前キャプテンは、タイトルを獲れないまま15年目のシーズンを迎えていた。チームを背負う覚悟を見せる姿に、ただただ「その決断が報われる瞬間が、いつか訪れてくれますように」そんな思いを胸に抱きながら、新シーズンは幕を開けた。

新監督でACLを並行に戦いながら始まった春。思うように勝ち点を積み重ねられない日々が続くも、前年までとひと味違う試合内容は、今後の飛躍を充分感じさせるものだった。「あのときと違うかもしれない」そんな思いは夏になり、主力の復帰と共に加速する。2点のビハインドを背負った鳥栖戦での大逆転劇。思い起こされたのは、あの角度のないところからの三本指シュート。新キャプテンの2ゴールは、確かに川崎の太陽が残した「チームを苦しいときに決められる選手となれ」という言葉を体現するゴールであった。秋になっても、その勢いは変わらない。降格さえしなければ御の字。シーズン前の想いは杞憂だったと言わんばかりに、勝ち進んでいく。「ひょっとして行けるんじゃないのか」

そして迎えたのはACL準々決勝。試練は唐突に訪れる。1stレグで奪った先手を自ら手放す不用意なプレーでの退場劇からの敗退。早い時間から受けに回って、勝てるようなチーム作りをしていないのは明白だった。ただそんな苦い敗退も糧にすることができるのが、今年のチームの強みだったのだろう。再度の数的不利を物ともせずに、勝ち上がったのはルヴァンカップ。未だにフラッシュバックする米本のミドルシュートと川島の跳躍を乗り越えるのは、今ここなのだろう。そんな思いで埼玉スタジアムに向かう足取りは、この10年間で1番確かなものだった。

浦和美園駅への帰り道。押し黙って帰るサポーターの波の中で、出てきたのは「まあ生きているうちにタイトル取ってくれればいいんだから」という自虐を込めた言葉くらいだった。失意にくれる選手を見るのは、これで何度目だろう。もう一度やり直してくれないかと救いのないことを考えながらの帰り道にも、すっかり慣れたように感じられた。「これ以上何を積み重ねれば、タイトルに手は届くのだろう」そんな試合後のコメントに痛みすら感じながら、向かいのホームからも新聞の隅からも目を逸らしながら迎えた月曜日の朝。残されていたのは「タイトルを獲るまで応援すれば、いつかはタイトルも獲れる」という空元気に近い決意と、いつか花開くと期待した未完の大器が、ピンクのユニフォームで開始直後にゴールを決める新たなトラウマだけだった。

ラスト3戦。冬はもう目の前に迫っていた。あの時と一つ違うことは、サイクルは始まったばかりであり、まだ強くなる途中であるということ。それだけが心の支えであり、だからこそ鹿島云々ではなく、勝って最後まで可能性を残してシーズンを終えて欲しいというのは、強がりでも何でもなく偽らざる本音であった。等々力まで足を運んだ第32節ガンバ大阪戦。選手達が折れそうな心を必死に立て直してきたことはピッチで展開されるサッカーを見れば一目瞭然だった。相手キーパーの好セーブに手を焼くも、点が入って当たり前という攻撃的なチームに取っては長すぎる170分ぶりの歓喜の瞬間は、過去何度も弱点と指摘されてきたセットプレーからの決勝ゴールだった。平日開催の第33節浦和レッズ戦は、幸先良く先制点を奪うも、その後は打って変わって我慢の展開。ACLの悪夢も脳裏に掠めたが、耐えに耐えての勝ち点3を獲得。これまでの負けパターンを覆す勝利に、着実に強くなっていることを実感した。そうこのチームは間違いなく進歩している。

最終節大宮アルディージャ戦。奇しくも優勝条件は2009年と同じ。もちろん唯一上にいるのは鹿島アントラーズ。ハッキリ言えば目の前の相手に負ける気はしなかった。過信でも何でもなく、10年間見てれば、それくらいのことはわかる。その自信は電光石火の阿部浩之の先制点で確信に変わる。それは2017年始めて首位に立った瞬間でもあった。前半終了間際には得点王がかかるキャプテンが2点目を決める。もう大丈夫だ。後半開始と共に、目の前に映る等々力の映像はそのままに、手元のスマートフォンを確かめる頻度は上がっていった。ヤマハスタジアムのスコアは動かない。頼む、今日だけは。他力に期待するのは邪道なのかもしれない。それでも今出来るのは祈ることだけ。都合が良いと罵られるかもしれないが、名波浩中村俊輔よ、意地を見せてくれ。吐き気すら覚えるほどの緊張感とは裏腹に、等々力では大島僚太が、谷口彰悟家長昭博が躍動していた。3点目、4点目。大舞台でのハットトリックで2年ぶりの得点王が決まる。ジュビロの劣勢を伝えるタイムライン。8年前の記憶が蘇る。厭だ、厭だ、厭だ。永遠とも思えた試合時間も気づけば90分を過ぎていた。どんなイタズラなのか、告げられたアディショナルタイムはどちらも5分。ジュビロが押し返してる?もしかするともしかするとなのか?起きるかもしれない奇跡の気配に立ち眩みすら感じた瞬間、唐突に最高の現実はやってきた。流れた文字は「磐田0-0鹿島 試合終了」その言葉の意味を理解して、顔を上げると5点目が決まった。そして等々力にも勝利の笛が鳴る。

中村憲剛が泣いていた。

何度その光景を想像しただろう。もう想像することすら、呪いなのではないか、そんなことすら考えていた。

小林悠が泣きながら、ケンゴに抱きついた。

かつて震えるような声で「いつかフロンターレの顔になるような選手になりたい」と語った新キャプテンは全てを叶えた。

間に合った。ケンゴは間に合ったのだ。そのことだけが頭の中に鳴り響く。国立で、等々力で、吹田で、埼玉で、10年間待ち望んでいた光景が、確かに広がっていた。2017年12月2日、川崎フロンターレは、ついにリーグ制覇を成し遂げた。日本で1番ピッチの中も外も面白いクラブは、日本一面白くて強いクラブになった。

初めて王者として迎える2018年シーズン。それがどんな年になるかはわからない。でも今まで通り、気が向けば僕はフラッとスタジアムに向かうのだろう。去年より、ちょっとだけ胸を張って、顔を上げて、星のついた14番のユニフォームと共に。