BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

個人的な競馬観をまとめてみる

Togetter - 「笠雄二郎氏の配合論語り、そして五十嵐良治氏とのダイアナソロン桜花賞にまつわる勝負」

Togetter - 「ガチ配合ヲタだけど何か質問ある?(暫定版)」

とある競馬クラスタの血統議論 - おはようからおやすみまで くらしに競馬を広げる

競走馬の馬体を評価する基準をまとめてみた - 傍観罪で終身刑

いわゆる血統派の人がtwitterに参入してきたのを見計らって、色々と池に石を投げてみたら、毎日毎日波紋が広がって、てんやわんやでござるの巻。そろそろ話題もループしかねないお年頃だと思うので、改めて個人的な競馬観(血統観・馬体観含む)というか立ち位置をまとめておいてもよいかなーと。べ、別に夏競馬でイマイチ馬券買う気がないわけじゃないんだからね!

端的に言うと大きく分けて2つのアプローチで競馬を見ているといえる。1つは馬券的なアプローチ、もう1つは一口的なアプローチ。それぞれは結構見方が違う。なおPOGはその中間といっていいかも。あえていうなら前者はトップダウン、後者はボトムアップ的な感じで見ているというか。

前者の馬券的アプローチでは、その時点で当該コースで求められる適性はどのようなものか、そしてそのようなバイアスに上手くフィットする馬はどれかということを考える。具体的に言えば、先のエントリで述べた競走馬の資質について、どのようなバランスが求められるかと言うこと。その後にいわゆる「過去戦績からの力関係」というのも考慮していく。大概の場合、人気というものは「過去戦績からの力関係」で決まっていくモノなので、人気馬がバイアスにフィットしてるのであれば、人気馬から買うし、そうでないのならば穴馬を狙っていくというスタンス。ここでじゃあ何を持って適性を考えているというと、「血統」及び「過去のレース戦績の詳細(上がり3ハロンとか、コース戦績とか、好走パターンとか)」である。何故そう考えるのか。

それは過去にtwitterで書いてるとおり、血統はその馬の基本設計であると考えているから。血統で大まかな各馬のキャラをイメージをしておいて、過去戦績の詳細でズレや微調整をしていく。なお、ここでいう血統をせいぜい2代くらいまでと、あとは母系(兄弟とか母の戦績とか)くらいで細かい配合は見ない。必要なのはあくまでざっくりとしたキャラ付け。イメージとのズレどころは過去戦績見ればわかるし。本当は先の競走馬の資質というものは、馬体とかをじっくり観察した上で見抜いていった方が確実だとは思っている。ただ実際僕の生活スタイルには毎週パドックGCに張り付くのは無理。それに馬券を買う上では個別の取捨選択よりも、網掛けが重要だと思っているので、その辺をPCで検索できる情報にアウトソースする手段としての血統なり、Targetだったりするわけである。どこかで縮減していかないと馬券なんて買えないし当てられないと思うわけ。

一方後者の一口的アプローチでは、全くの逆で全体の網掛けはぼんやり意識する程度で個別実馬重視。1つには取捨選択が必要な情報量が圧倒的に少ないこと、しかも毎年フィードバックが可能なこと、最大のポイントはリスクがそのまま生活に直結することw 10本に1本当てればプラスになる馬券と、少なくとも1勝は5割以上で狙いたい一口では考え方が全く違う。で、リスクを考える中で実馬の相馬するっていうのは凄く重要だと思うのですよ。走る馬を見分けるのは難しいけど、走らない(リスクの高い)馬を見分けることはある程度までは可能だと思っているから。馬体は目に見える形で欠点が現れてるわけだし。で、個別具体的に見ていった上で、後は狙っていく適性を強調できる血統を選んでいく感じ。ただそれも優先順位は低くて、厩舎なり育成なりを考えた上での最後と言ったところ。

とまあ、ここまで纏めてみるとわかるのは、根底に流れているのは走るのは馬そのものであって、血じゃないでしょという感覚。それと配合というのは、どっかでmomdoたんが言ってたように帰納できても演繹できないんじゃないのかという疑問。ある程度「意識的に狙った適性を重ねる」ことで、生まれてくる馬の「方向性」みたいなものをそれとなく導くことは可能なようには思える。ただ内野フライあげないように転がすバッティングを意識するとか、アルファベットのスープで文章作るとかそういうものになるんじゃないかと。このへんの疑問については、暇があればいわゆる血統理論の本を読んでみてもいいのかもしれないけど、JRA総研のどのページにも血統理論の研究がなされてない時点で何だかなあと思ったりすることではあったり。もちろん歴史書という意味での血統史的なものは非常に面白いし、価値があるとは思っているのだけど、それを真っ当にうけちゃうのは司馬遼太郎作品を歴史の教科書として読んでるみたいなところを感じてしまうのではある。そういう自分の立ち位置を改めて確認した血統TLだったなあと。

そのうち暇があれば、どういう血統が、どういう競走馬の資質を強調してると僕が考えてるかなんて文章を書いてみたいが、まあ今日はこんなところで。