BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

街をどう作るかということは、どのような共同幻想を抱ける街を作るかということ

競馬はまだまだこんなイメージ<りあるの競馬日記>

競馬とパチンコの違い<血統の森>

先の記事への追記<りあるの競馬日記>

ないものを証明せよ<血統の森>

また追記<りあるの競馬日記>

りあるの競馬日記の主張

競馬に対するイメージは相変わらず悪いよ。彦根市長は競馬が悪いっていうんだったら、同じギャンブルであるパチンコも市から追い出せばいいのに。

血統の森+はてなの主張

そもそもパチンコは競馬として見做されていないよ。それにウインズを設置して欲しいなら、ギャンブル=悪という負のイメージを覆す悪魔の証明をするのではなくて、正の効果を主張すればいいんじゃないの

そもそも言及してるステージが違う

りある氏は単に競馬のイメージって悪いよね、相変わらずそれに対して議会ではイメージを変えるようなデータを示してくれないよね、パチンコだって実際はギャンブルなのに酷いや!ということを書いただけ。別に議会において賛成派がウインズを設置するための戦略については述べていない。だからmomdoたんはウインズ設置を認めさせたいのならば、イメージを変えるようなデータを提示するのは難しすぎるのだから、正の効果について訴えればいいじゃないという言及はたぶん届かない。ステージが違う。まあmomdoたんはわかってやってるんだろうけど、不親切というかタチが悪いよね、いつものことだけどw

ただ、りある氏が結局何が言いたかったのかなあという感覚を抱くというmomdoたんの感想はわからないでもない。りある氏のblog自体は前から読んでるので、この人の文章の癖のようなものなんだろうけど、「本人が最初に感じたこと+補強するためにデータを持ってきたり、引用する」でエントリが終わるんだよね。まああくまで「競馬日記」なんだから、別に自分の感覚を書きたいだけなんだ!って言われてしまえば、それまでなんだけど、何かを伝えるために文章を書いてるんだったら、自分の感覚を「他人に伝えたい主張」まで落とし込まないと、読んでる人は「何となくそれはわかるけど、何が言いたかったのかなあ」という思いを抱くと思われ。感覚を補強するデータじゃなくて、感覚から主張を導くためのデータを持ってこないと無駄。ぶっちゃけ大きなお世話なんだろうけど、りある氏の目の付け所とか、文章量を考えると何とも勿体無いことをしてるなあと思うので、突っ込んでみた。お前の文章だって、やたら長い上に意味わかんねーし、思い込みが多いよ!って言われたら何もいえないけど、まあ文章ってのは他人からは悪いところがわかるけど、本人にはわからないものだから仕方ないw

ところで市長の主張は本当に間違っているのか

りある氏は競馬が本当に悪だったらそのデータを持って来い!賛成派もデータ持って来い!と言ってるのだけれど、議会がデータで競馬が悪でないことを証明することはありえるのだろうか。そんなことはたぶん今後も起こりえない。なぜなら意味がないし、する必要もないから。反対派がなぜウインズを設置したがらないのかを考えればわかる。下世話な言い方をすれば、「ウインズってやーよね」って考える人に支持してもらう、それが彼らにとっての反対理由である。さらにいえば、「ウインズってやーよね」と考える人にとっても「本当にウインズが負の施設か」などということは関係ない。彼らのライフスタイルにとって、ウインズというものは必要のないものである。そして彼らはウインズとは悪いイメージをもっている。そんな彼らがウインズって実は悪影響はないらしいなんてことを知る必要はないし、知りたいとも思わない。どのような街を作るか(作ってくれる市長、議員を支持するか)ということは、いかに自分にとって居心地がいい、そして同じような共同幻想を抱いてくれる人が集まることの出来る街を作るかということである。そのときウインズの負の要素が誤解であるということを知る必要はない。むしろウインズは負であるという誤解を共にしてくれる人が彼らにとっての理解者であり、仲間である。

賛成派についても同様である。別にウインズが負の要素であることを証明する必要は別にない。なぜなら彼らにとってはウインズとは負の要素を考えても余りあるほどプラスの要素がある必要なものであるからだ。そしてプラスの要素を持つと考える人を増やすことが彼らにとって必要なことであり、そのためには「経済効果」という主張だけしていれば、基本的には問題ない。何故なら彼らにとっての目標は「競馬とは悪ではない」と主張することではなくて、ウインズによる経済効果に浴することであるからだ。競馬ファンなんて増えなくても、ウインズさえできればいいのだから、ウインズが出来るとこんないいことがあるよ!ということを経済効果を浴する可能性のある人々に主張すればいいだけである。まあ賛成派にまわる可能性がある人に負の効果の小ささを述べる戦略はあるだろうが、そんなことにデータを用意するくらいなら経済効果をデータで示すであろう。

このように考えたときに「場外馬券売り場の設置には毎度毎度反対するのに、パチンコ屋はどうなんだ」ということは矛盾でもなんでもないことに気づく。何故ならパチンコはすでにギャンブルではないというイメージ(と、法律を)得てしまっているからである。それが正しいのかなどということはどうでもいい。自分の街にパチンコ屋が出来ているということに対してアレルギーがない以上、それが例え誤解であっても競馬と結びつくことはありえない。パチンコがギャンブルではないという共同幻想が成立してしまっている以上、それをわざわざ潰すことは一般市民(地方議会)にとってはありえない。もちろん本質的にギャンブルなのだから、競馬と同様に国が規制すべきだという意見はたぶん正論で問題とするべきことではある。しかしそれはパチンコの悪影響とは?ギャンブルとは何か?という倫理的な問題に踏み込むわけで、市議会ごときがウインズ設置可否において問題となることではない。それがしたければ偉い人かJRAの中の人になるしかないw

以上のように、ウインズの設置可否の問題とパチンコのギャンブル性(もしくはギャンブルの問題性)は同一のステージで語るべきではない。それが混在してること、また議会でギャンブルの負の側面のデータが出てくるということはありえないのにそれを期待していることが、りある氏の先のエントリの問題点といえるのではないだろうか。そしてそれをイチイチ突っ込むmomdoたんは感じが悪いモヒカン族であり、それをネタに東浩紀の本から引っ張って長文を書くBrainSquallの中の人は暇人すぎ。