BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

有馬記念回顧を見ながらの雑感

ひとまず、有馬を回顧。<殿下執務室2.0 β1>

流れよ我が涙、と金子真人ホールディングスは言った<関内関外日記>

有馬記念柏木集保 重賞レース回顧>

意外と空いてた有馬記念

馬は飛んだけどレースは普通<競馬サロン ◇ ケイバ茶論>

有馬記念でした須田鷹雄の日常・非日常>

有馬記念回顧<ディープインパクトの強さの裏で・・・> - livedoor Blog(ブログ)<馬い毎日>

有馬記念回顧<中身は少々お粗末だった> 【競馬研究所@ブログ】

有馬記念はレース自体がお粗末だったのか?

どこもかしこも有馬記念は低レベルだった、ディープインパクト向きの競馬でつまらなかったという意見が出ているが、本当にそうなのだろうか。振り返るとアドマイヤメインから離れた後ろは確かにスローの競馬となった。しかしそれが本当にディープインパクトにとって良かったことなのか。

どうもその派手さから「自分から動いて早め先頭」という競馬が相手を負かしに行く競馬だと過度に幻想を抱いてる人が多いようだけど、それはあくまでコース設定やトラックバイアスによるものだということを忘れてはいけない。例えばもしこれが野芝の生え揃った京都競馬場で行われる菊花賞だったら、それは正しいと思う。だが、有馬記念というのは消耗戦になればなるほど、実力馬には有利なコースである。考えても見て欲しい。小回りの中山で淀みない流れの縦長の競馬になったら、ディープインパクトのようにスタミナに自信があり、息長く末脚を使える馬にとってはお得なことばかりである。少なくとも速い流れで彼より後ろから斬れる脚を使える馬はいるわけがない。前の馬は徐々に脱落していくから、したがって本当にスタミナに自信がある前の馬に脚を残させない程度に仕掛けどころを伺えばよいだけの話。馬群がばらけるから、仕掛ける位置も自由自在である。こんなに楽な競馬はない。

もし有馬記念に紛れがあるとすれば、それはスローの団子状態から3ハロンだけの競馬になった場合である。スローに流れれば直線の短さもあいまって、全馬脚を残すことができる。しかも団子状態になればディープのような脚質の馬は外を回さなければいけなくなる。しかも冬の中山非常に時計がかかる。末脚の絶対値が低くなれば、当然末脚勝負に差はつき辛くなる。もし前に強い馬がいれば(要するに去年のハーツクライ)その馬が残るチャンスは飛躍的に高まるのだ。加えて距離適性に劣るマイラーにも出番が出てくるため、後ろからマイル戦のような斬れ味で突っ込んでくる馬もいるかもしれない。斤量の軽い3歳馬や牝馬が凄い脚を使うかもしれない。冬の中山で行われる有馬記念でのスローの団子レースはディープにとって、決してお得意の展開とはいえないのだ。

ところがディープインパクトは今回ラストランでギリギリまで脚をため、その暴力的なまでの瞬発力を最後に解き放った。時計のかかる冬の中山で33.8(特に仕掛けてからのバルクを交わしていった瞬発力)は驚異的としかいいようがない。本来不安の残る流れになったにも関わらず、その瞬発力ですべてを撫で切ってしまったのである。確かに、各騎手たちがディープインパクトを本気で負かすために今回のような展開を生み出したのかどうかは疑問が残る。ただ、あまりにディープインパクトが強すぎたがために、必要以上に他の馬がまわってきただけのように見えたのではないのだろうか。少なくとも決して今年の有馬記念はこれまでのディープにとって、お望みの展開ではなかったのは確かだ。

ライトファン、ミーハーファンへの苦言

とにかくディープインパクトとセットに語られたのが、自称年季の入った競馬ファンからのディープインパクト祭りへの苦言である。確かに主催者がディープフィーバーを煽る為に施したさまざまなイベントがセンスのないものであったのは認めざるを得ない。ただしその非はあくまでその煽り方が競馬本来の魅力を伝えるには足りないものであったからである。競馬は本来は1頭の主役だけで行えるものではない。これまでの歴史、それぞれの馬たちの物語があるからこそ、ディープは光り輝いていた。そのことを伝え切れていなかったのは残念である。しかしディープを利用して、競馬を盛り上げようとするのは何も間違ったことではない。ではディープ祭りを嫌悪し続け、ミーハーを馬鹿にした自称年季の入った、真の競馬ファン名乗る人々は競馬を盛り上げるためにいったい何をしたのだろうか。

もし競馬が好きで愛しているのであれば、主催者の間違ったメッセージをさりげなく訂正してあげればいい。ディープファンが馬券を買わないから、迷惑だなどと考えるのは愚かすぎることだ。0から競馬に興味を持った彼らにそっと、ディープインパクトだけではない魅力を伝えてあげればいい。ヘンな言い方になるかもしれないが、彼らはまだヨチヨチ歩きの赤ん坊ファンに過ぎない。競馬場でのお作法、馬券の面白さ、脇役の物語、血統の魅力それを教えてあげるのが先輩ファンのオトナの努めである。競馬には色々な楽しみ方があり、その多様性が競馬の面白さ、魅力を底上げするのである。それを自分の競馬観にそぐわないからといって敵視するのはばかげたことだ。それでは、バカにしているミーハーと彼らは何も変わることはない。競馬は予想→結果という極めて個人の中で自己完結性の高い娯楽である。だからこそ多様性が生まれるのであるが、全体から考えると自己完結性が高すぎ、各自で閉じてしまう危険性をもっと意識するべきだ。そのような狭い視野から競馬を見続けてしまっては競馬を緩やかな死に導くだけである。ディープフィーバーという自己完結性の高い競馬に訪れた、めったにない周りを巻き込む力を持つ祭りをもっと意識するべきだし、各々の競馬ファンを主催者によりかかり、批判するだけでなく、各自がもっと競馬を語り、周りを巻き込むべきではないだろうか。日本の競馬には競馬の魅力を大衆に伝えることが出来る語り部が少なすぎる。

金子オーナーの苦しみ

ディープインパクトの偉大さの一つは、早期の段階で競走能力の歴史的高さを知らしめたにも関わらず、目標としたレースにすべて出走し、完走したことにもある。しかし早々と栄光と名誉を手にし、競馬会の至宝となってしまった同馬をレースに出し続けた関係者のプレッシャーは今なお想像の及ぶところではない。引退式での金子オーナーでの言葉、「来年もディープの勝負を見るには私のハートは小さすぎた」という言葉は数々の名馬を持ち続けた金子オーナーを以ってしても、ディープインパクトの馬主であるという重さ、恐怖は耐え難いものであったことを物語っている。そう考えると、いまだ記憶に残り、誰もが思い出すのはサイレンススズカの悲劇だ。あの時の絶望感、喪失感ショックは今なお僕個人のトラウマにもなっている。あの時はすぐ下の世代にスペ、グラ、エル、セイウンスカイなどのタレントも揃っていたので、その傷は徐々に癒された。だがディープが走るのを見るたびに、いつ予後不良になるやもしれぬという怯えのようなものは、ただの競馬ファンである自分にも存在していたのだ。ましてやオーナーともなれば、走ることそれ自体が苦痛にもなっていただろう。そのような重さ、プレッシャーが「私のハートは小さすぎた」という言葉に集約されているように思える。という関内関外日記さんに全面同意の感想。

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