BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

英雄はターフを去り、それでも競馬は続いていく

12月24日クリスマスイブ。日本競馬史上における最も甘美な2年間は終わりを告げた。それでも競馬は続き、僕らは競馬を語り続けていく。

2006年有馬記念ディープインパクトは期待の応えて圧勝でその競走生活に幕を閉じた。スタートは絶好。そのままスっと後ろに下げるとマイポジションで軽やかな走り。3コーナー手前で行きたがる素振りを見せるが3,4完歩ほど鞍上は我慢させると4コーナーに差し掛かるところでGOサイン。そこからが速かった。飛ぶといわれた彼の走りの真骨頂。仕掛けてからの驚異的な加速で前に取り付くと、最後は流して3馬身。終わってみれば時計のかかる馬場状態にも関わらず、上がり3ハロンは33.8を計時した。

この走り。思うに彼の戦歴において、一番近かったのは新馬戦であっただろう。圧倒的に力上位であり、仕掛けずに追走できたからこそできる極限までの溜めての末脚。コスモバルクを交わしていくときに見せた一瞬の斬れ味は、彼のもう一つの能力である息の長い末脚を捨てたからこそ発現したサンデーサイレンス産駒としての特性であり、サンデーサイレンス産駒最高傑作としての最高のパフォーマンスであったともいえる。彼はラストランにおいて、そのデビュー時の衝撃を再度僕らに見せ付けて、競馬場を去っていった。

そして有馬記念で彼が見せたものはデビュー時の衝撃だけではない。英雄という呼称。何ともいえないこの恥ずかしさをも感じるネーミングは最後の有馬記念を持って、僕らの中に刻まれた。ある人にとっては、文字通り少年の憧れのような存在だったのかもしれない。ある人にとってはアンチ対象としての存在だったのかもしれない。しかしこの2年間紛れもなく、彼は日本競馬という物語においての主役を演じきった。彼が走り終わった後の何ともいえない寂寥感、主役が勝った喜びとは違う競馬場のざわつき。そしてレース直後から、引退式まで続いた奇妙なまでのスタンドの静けさ。空白感。誰もが圧倒的な存在感で、2年間日本競馬の主役を演じきったヒーローの退場を受け止められずにいた。目の前のヒーローがもう走らないという事実を、競馬場で見ることがなくなったという事実をいったい誰が想像できているのであろうか。しかしディープインパクトは引退した。もう競馬場には戻ってこない。

この2年間ディープインパクトは日本の競馬ファンの心の中に各人、形は違えど主役として存在し続けた。誰もが2年間、日本競馬をイコール、ディープインパクトの物語として体験することとなった。彼を失った寂寥感は余りあるものがある。しかしその体験は競馬史上において、類稀な、奇跡的な体験であった。今ディープインパクトは引退し、その奇跡は終わった。寺山修二は「競馬は人生の比喩ではない。人生こそが競馬の比喩なのだ」と言った。この2年間ディープインパクトが主役というあまりにも甘美な人生を歩まされてきた僕らは、ディープが引退したこの瞬間から自分の人生を再度歩まなければならない。それは想像するだけで足が竦むかもしれない。競馬に興味を失ってしまうかもしれない。

しかし甘美なゲーム的、ファンタジーとも言える人生を追随することだけが人生の面白さではない。競馬という物語は僕ら一人一人の心の中に帰ってきたのだ。2歳戦を振り返ってみればいい。タニノギムレットの仔が、ステイゴールドの仔がG1を勝った。ジャングルポケットがそっくりの子供を出してダービー候補に躍り出た。そして今日ディープインパクトの弟は兄の面影を残す走りで勝利を収めた。そこには僕らの物語がある。ディープインパクトは彼一人で英雄となりえたのではない。日本競馬が積み上げてきた歴史があったからこそ、その存在感は圧倒的となり、2年間主役を務め上げてることができたのだ。僕らがそれぞれに競馬を、人生を歩み続けてきたからこそ、生まれてきたのが英雄ディープインパクトである。これからも僕らはその瞬間における名馬たちに競馬に各人の物語を紡ぎ続けよう。3年後ディープインパクトの子供はターフに帰ってくる。走るかもしれない、走らないかもしれない。それでも競馬は続き、僕らは競馬を語り続ける。語り続けていれば、きっと第二のディープインパクトが、彼が残した宿題を完遂する名馬が現れる。そのとき僕らはこう言おうじゃないか。


「昔も凄い馬がいたんだ、ディープインパクトといってね、飛ぶような走りを見せていたんだよ、彼は英雄だったんだ」