BrainSquall

競馬ニュースを中心に、レース回顧、POG、一口についてのタワゴト。他にフロンターレとかアニメとか・・・でした。

【JC回顧】己を誇示し、曝け出したディープインパクト

凱旋門賞以来、ディープインパクトは初めてその存在、器に疑問を抱かれる日を過ごしてきた。思えばデビュー以来、ディープはファンのマスコミのJRAの虚像といっても不思議ではない大風呂敷に絶対能力の違いで平然と応え続けてきた。その過程で、怪物、英雄の呼称を与えられ、果たしてディープインパクトという馬は本質的にどういう馬なのか、つまるところ彼の適性はどこにあるのかという問いに対しては、至極曖昧に論じられてきた気がする。しかしどんなサラブレッドにもベストパフォーマンスを発揮できる舞台はある程度限定されている。今回不幸な薬物疑惑、凱旋門賞の敗戦によって、はじめて能力に対して外野の喧騒を与えられたディープインパクトは、JCという舞台でディープインパクトはどんな馬なのか?という問いに一定の答えを出したのではないだろうか。

JCを振り返ってみよう。逃げ馬不在の中、久々に積極策に出たコスモバルクの作るペースは前半61.1。前半は以前の彼からは考えられないような、オトナな逃げで脚をため、ラスト4ハロンくらいから、後続に脚を使わせる作戦だったと思われる。しかしさすがは国際G1、鞍上の思いよりも速く後続からのプレッシャーをかけられたがために、ラップをみてみると13.1-11.5-12.4-12.1-12.0-12.7-12.7-12.4-11.9-11.5-11.3-11.5と、ラスト5ハロンから加速を強いられているのが伺われる。これに対してディープは5ハロンからのペースアップには仕掛けることなく、追走。4ハロンを過ぎてからのゴーサイン。そこからはウイジャボードをあっという間に外から抜き去り、好位後ろに進出。直線に入ると大外に持ち出し、持ち前の瞬発力で先頭に並ぶと、末脚は衰えることなくゴールまで伸びきっての2馬身差完勝であった。

このレースぶりと凱旋門賞での走りを重ね合わせると、ディープインパクトの走りの形、適性に一つの回答が出たように思える。端的に言えば、ディープインパクトの凄さは「どんなペースにも関わらずに、仕掛けられた瞬間に他馬を抜き去ることの出来る類稀なる瞬発力と、そのような瞬発力を出してもなお、残りの3ハロンを33秒前半でまとめることが可能な末脚の持続性」といっていいのではないだろうか。もちろんこのことについては、殿下あたりがコメントしていたり、何度かこのサイトでも述べてきた。ただ今回改めて述べたいことは、ディープは末脚をラスト33秒前半で持続させることは可能だが、決して32秒台であがれるわけではない。言い換えれば「ディープはまさに離陸時のパフォーマンスこそが強みであり、一度飛び立ったあとに、再度加速して宇宙に行っちゃうわけではないよw」ということである。

そう考えると二度の敗戦も理解しやすい。簡単に言えばディープを負かすには、ラスト3ハロンの時点でディープが33秒台であがっても追いつけないくらい前にいる、もしくはディープが離陸したあとも、仕掛けを我慢しながら離されずに追走して、ラスト3ハロンの上がりで上回るという2パターンが考えられる。いや、それが普通にできれば苦労しないし、普通できないがゆえのディープのパフォーマンスではあるというのはごもっとも。ただ競馬だからゆえに、そのような展開になったことが過去2回あり、それが二度の敗戦であるといえる。有馬記念でいえば、体調不良ゆえにディープは離陸に失敗、それがゆえにハーツにセーフティリードを残させてしまったわけだし、凱旋門賞でいえば、離陸タイミングが遅かったがゆえに、後方の馬とのリードが残せず、そこから斤量の軽い2頭の切れ味に屈したと考えられよう。

そして、この仕掛け時のずば抜けた瞬発力、衰えない末脚を存分に発揮できるのは、当然ミドルからハイペースで流れた直線の長いコース、もしくは全馬の末脚が衰える長距離戦である。コレを踏まえて、今日のパフォーマンスを見た限り、有馬記念の戦いはそう楽ではない。小回りの中山2500m。正直ディープインパクトのベストパフォーマンスを発揮できる舞台とはいえない。ある程度流れが速くなる、もしくは超スローなら問題なかろうが、スローにも関わらず、縦長の馬群などという展開になったときは、そう楽観視はできないであろう。

はじめて、自己の存在を、能力を疑問視されて挑んだJCでこれだけのパフォーマンスを魅せたことは、さすがというしかない。陣営も馬も見事な走りであった。だが、その走りの中にディープインパクトの適性が(言い換えれば限界が)はっきり見えてきたのも事実だ。物語最終章はディープインパクトにとって己を総てさらけ出した中での一戦となる。これは非常にプレッシャーのかかる戦いだ。しかしだからこそ、最後も最も彼らしいパフォーマンスで競争生活のクライマックスを見事に飾って欲しいという思いを抱くのである。